社員ブログ
2025.04.09
◇社長の独り言◇ 第1回目 ★御挨拶
春の陽気が心地よいこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
.jpg)
2025.04.04
『61期 小集団活動成果報告会』
~ 生産性向上 品質の向上に努めています!~
3月某日、小集団活動の成果報告会が社内で開催されました。


2025.04.02
AZOLGAS スプリングの販売を開始しました

2025.03.07
スノーボード⛄⛄⛄
こんばんは
前回は真夏の消防訓練だったので、だいぶご無沙汰になりました
さて2月最後の休日
理研のメンバーたちで岐阜県のめいほうスキー場へ滑りに行ってきました
雪の降る寒い中ではなかなか写真を撮る気になれませんでしたが、
後半やっと晴れてくれたので少しだけ撮影できました
M社長のビンディングトラブル×2なんかもありましたが、楽しい一日でしたね
身体もよく動いたのでリフレッシュできました
個人的には帰りに大好きな野沢菜漬けと鶏ちゃんみそを
しっかり入手することができたので大満足
これで今シーズン終了―!です! \( ‘ω’)/
2024.08.05
『避難訓練及び消火訓練を実施しました』
こんにちは 総務部のH咲です。
先日、消防設備の点検をお願いしている会社様立会いの下、避難訓練及び消火訓練を行いました。
消火訓練といっても消火器から水しか出ない疑似的なものを使っての訓練です。消火器を使う際に周りに注意を促すために「火事だー!」と叫ぶよう指導されましたが最初の内は恥ずかしいせいか声が出ていませんでした。
いざとなったら大きな声が出るのでしょうが、いざという時が無いよう気を付けたいものです。
2024.05.14
『毎年恒例のBBQ大会を開催しました』
こんにちは営業課のH川です。

.jpeg)
2024.03.22
『金属ばね製造技能士検定』
今年も若者を中心にばね検定で合格者が出ております。
熱心に技能練習や勉強に打ち込む姿が印象的でした。
「金属ばね製造技能士」とは、そのバネの製造技術が試される国家資格で、線ばねと薄板ばねの2種類それぞれ、1級と2級に分かれています。 特に、1級は国家資格となり、受験資格を得るには2級取得後一定の期間経過が必要となります。
弊社では、1級2級とも数多くの技能士が在籍しており日々ばねの生産を行っております。
また、日本ばね工業会より技能士の取得条件を満たして金賞、銀賞、プラチナ賞の表彰を受けた技能者も複数在籍しています。特にプラチナ賞は線ばね1級、板ばね1級、金属熱処理1級の3資格を保有しており、ご要望に応じたばねの提案をさせていただいております。
2024.03.11
リケンのバネに携わるようになって・・・
こんばんは初めまして、営業部のK本です。
日々、生活する上でよく考えてみると我々はバネありきの生活をしています。何かとバネが無ければ不便な生活にどっぷり浸かっていますよね。
会社で椅子に腰かけると背もたれにバネの作用を感じます。携帯電話やゲーム機のスイッチ類にはバネは欠かせませんよね!
誰もが気付かない場所でもバネは縁の下の力持ちとして頼もしい存在ですよね! これからももっともっとバネを感じた生活を楽しみませんか!?
皆様、バネついて偉そうなことを申し上げましたが、私はリケンのプロパー中、年は取ってますが、実は1月入社のド新人です。この経験が無い初めての世界で日々必死に食らいついて行っています。(行けてるかな?)
今後とも宜しくお願い致します。
2024.03.07
小集団活動の報告会
早くも3月になりましたね。
理研発条工業の60期も間もなく終わり、新しい年度を迎えようとしています。
本日は毎年の恒例行事となる、小集団活動の報告会をご紹介させていただきます。
弊社では改善活動として5チーム編成による小集団活動を行っています。
各チームで課題を見つけ出し、1年間の活動結果を報告しています。
各チームで様々な改善テーマに対して活動を行っており、品質向上だけではなく
技術力向上や生産効率の改善などを行っています。
特に若手チームは様々なデータ取りを行い、説得力は抜群です。
素晴らしい成果も出ています。
これからも進歩を続ける理研発条工業を宜しくお願いします!
2024.02.05
早春告げる炎 世界の平安祈り 奈良の若草山焼き
古都奈良に早春を告げる伝統行事「若草山焼き」が1月27日、奈良市の奈良公園
若草山一帯で行われました。
若草山三重目の頂上には、鶯塚古墳(うぐいすづかこふん)という前方後円の巨大なお墓があります。
その昔、このお墓から幽霊が出て人々を恐がらせるけれど山を焼くと幽霊が出なくなるらしい、また翌年1月頃までに山を焼かないと良くなければ、なにか望ましくないことが起こるらしい、などの迷信が長く続き、この山を通る人が勝手に火をつけるようになったといわれています。
これにより東大寺境内に火が迫る事件が再三起こり、1738年12月に、奈良奉行所は若草山に放火禁止の立て札を立てました。しかし、その後も誰ともわからないまま放火は続き、近隣の寺や神社へ火が燃え広がるなど危険が絶えなかったため、江戸時代末期頃には若草山に隣接する東大寺・興福寺と奈良奉行所が立ち会って山を焼くようになりました。
このように山焼きの起こりは、山上古墳の鶯塚に葬る霊魂を鎮めるための祭礼というべきものであり、供養のためでもあったといえます。
- 1 / 23
- »