社員ブログ
2025.09.30
◇社長の独り言◇ 第6回目 ★弊社の在る大阪府四條畷市田原地区のご紹介
最近はじめて『水中毒』と言う言葉を耳にしました。
1週間ほど前に子供と遊んでいた時、外の気温は37度。いつも以上に多く水分を摂取しているなと思いながらも、暑さには勝てずに冷たい水をガブガブ飲んでいました。
夜自宅に帰り家でゆっくりしていると「めまい」「頭痛」が。最初は風邪でも引いたのかなと思っていたのですが、熱や咳などもなく。携帯で調べていると、思い当たる病名が『水中毒!』
確かにこの日は、水やお茶ばかりを飲んでおりスポーツ飲料の様な物は一切摂取していませんでした。調べていくと、対策としてはやはり一緒に塩分などを摂取する事が重要な様です。
その日以降は塩分チャージタブレットを購入し、常に持ち歩くようにしています。
皆さんもお気を付けください。
さて今回は、弊社工場の在る大阪府四條畷市の田原地区について少し書かせて頂こうかなと思います。
弊社の住所は大阪府なのですが、工場は奈良県との県境に御座います。
歩いて30秒で奈良県、といった立地に御座います。
弊社の電話番号には、奈良県の市外局番が割り当てられている事からも、本当に県境なんだなと感じます。
奈良県側から見れば多分「大阪に入って一番最初のばね屋」になると思います。
よく大阪の方からは「生駒山の向こうは奈良県だと思っていました。」と言われる事が御座います。
生駒山とは大阪と奈良の県境にある山なのですが、山を越えても、我々の工場の有る田原地区だけは大阪として存在している事を皆様に知って頂ければと思います。
田原地区(大阪府四條畷市)ってどんな所?
四條畷市は大阪府の東北部に位置する豊かな自然と歴史的遺産に恵まれた街です。
中でも歴史的に有名な人物と言えば、楠木正成の息子であり、南朝の後村上天皇に仕えた武将である楠木正行が生涯を終えた地で、現在は正行の墓石が建てられ地元の人からは今でも愛され続けています。
生涯を終えてから80年後墓石の横にクスノキが2本植えられ、成長を続けたクスノキは墓石を包み込み2本が1本となって正行の墓石を守っている様な光景が、今も見ることが出来ます。
現在墓所にある石碑は明治11年に建てられたもので、大久保利通の揮毫(きごう)による「贈従三位楠正行朝臣之墓」の銘が刻まれています。


他にも私達の工場の有る田原地区にはこの様な伝説が伝えられています。
むかし、むかし。ある暑い日に、身なりのきたないお坊さんが田原の里を通りかかったところ、村の若い娘が声をかけました。
娘:「お坊さん、どうされました。ずいぶんお疲れのようですね。」
お坊さん:「じつは歩きどおしで、とてものどがかわいているのです。」
娘:「それはおこまりでしょう。どうぞこれを飲んで、のどをうるおしてください。」
娘は村の井戸から水をくんでお坊さんに差し上げました。
お坊さん:「あ~おいしい。元気になりました、ありがとうございます。」
お坊さんは、お礼を言って立ち去りました。それから数日が過ぎ、あのお坊さんが、弘法大師というとても偉いお坊さんだったことがわかりました。
それ以降、不思議なことにこの井戸の水は、どんなに日が照って水不足の時でも枯れることがなく、冷たくおいしい水がコンコンと涌き続けました。村の娘がだれにでも親切にしていたおかげです。
村の人たちは、弘法大師様のおかげで水が枯れることのない井戸を「照涌の大井戸」と呼ぶようになりました。
実はこの井戸は、現在も存在しています。


他にも戦国時代にはお城もあったと語られております。今は跡地しかありませんが …
又近隣の奈良県生駒市も、現存大型遊具では日本最古の飛行塔がある生駒山上遊園地や、この遊園地に向かう為のケーブルカーも日本最古と、日本最古ツアーも出来る歴史深い街です。
ただ古い物が多いだけでなく電車で大阪、京都、兵庫へも簡単にアクセスが出来てとても住みやすい街でもあります。


コロナ以降少し規模は小さくなってしまったのですが、夏には花火大会も有り私は小さい頃からこの花火を観て育ってきました。


是非一度弊社工場へお越し頂き、その際少しお時間に余裕を見て頂いて、近くの歴史探検などされてみては如何でしょうか。